風でぐにゃぐにゃ
子どもたちは人間のなかでいちばん
自然の循環をそのまま受けとって、
体全体で表現しているみたい、
やわらかくて、見ているだけで、
不思議で、面白い、
植物や虫たちと似てるな~とおもう
みんな無心で放つように生きていて、、
まだ、いい わるい の価値観がないとき、
目的がないとき、
理想もない、
昨日と明日、時間がなくて、永遠と無限のなか
あなたとわたしの区別がない
夢のような、あの世界の住人、
大人になって、あなたとわたししか見えなくなると、
大きな◯の中の・を自分だとおもって、
他の・達を羨ましくおもったり、
ここじゃない、何処かに行くためにあれやこれや、してみたりする。
でも、こどもや自然の
ただ流れて変化していく様は、
全く違う次元の世界で、
どこまでが私で
とこからがあなたなのか?
どこまでが、いい で、
どこからが 悪い なのか?
大きな◯の中の・どころか
◯の外側と内側さえ溶けている世界
それは頭で理解しようとすると全く見えないもの、
形や名前のないもの
だけど、感じられる、
いつでもそこにある、
こどもや 風にゆれる旗が
そんなことを教えてくれた
なんだか、必死に
頭の中で道を探していたわたしに、
風にゆれる旗をみてると、
気持ち良さそうで、
風に吹かれて ぐにゃぐにゃ ぱたぱた
からだも頭もなされるがまま、
、、 わたしは風なのか、旗なのか、
頭のなかの迷子なのか、、 ・なのか?
そんなかんじ、
謎、、
ただ、邪魔したくないな、と思った。
同じひとつの魂たち、
おとなも子どももない、
形や名前がない
それを ただそのまま、変化して、循環していくままを感じていたいな~
わたしも、、わたし?誰だっけ、、笑
風のように、きもちのいいものだけでは
なくても、
カオスも、そのまま。
禅僧ティク・ナット・ハンが、長いあいだ
瞑想したあと、書かれた詩
「私を本当の名前で呼んでください」
私が明日発つといわないで
なぜって いま もうすでにここに着いているから
深く見つめてごらんなさい
私はいつもここにいる
春の小枝の芽になって
新しい巣でさえずりはじめた
まだ翼の生え揃わない小鳥
花のなかをうごめく青虫
そして石のなかにかくれた宝石となって
私はいまでもここにいる
笑ったり泣いたり
恐れたり喜んだりするために
わたしの心臓の鼓動は
生きてあるすべてのものの
生と死を刻んでいる
私は川面で変身するかげろう
そして春になると
かげろうを食べにくる小鳥
私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙
そして静かに忍び寄り 蛙をひと飲みにする草蛇
私はウガンダの骨と皮になった子ども
私の脚は細い竹のよう
そして私は武器商人 ウガンダに死の武器を売りに行く
私は十二歳の少女
小さな船の難民で
海賊に襲われて
海に身を投げた少女
そして私は海賊で
まだよく見ることも愛することも知らぬ者
私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者
そして私は彼の「血の負債」を払うべく
強制収容所でしずかに死んでゆく者
私の喜びは春のよう
とても温かくて
生きとし生けるもののいのちを花ひらかせる
私の苦しみは涙の川のよう
溢れるように湧いては流れ
四つの海を満たしている
私を本当の名前で呼んでください
すべての叫びとすべての笑い声が
同時にこの耳にとどくように
喜びと悲しみが
ひとつのすがたでこの瞳に映るように
私を本当の名前で呼んでください
私が目ざめ
こころの扉のその奥の
慈悲の扉がひらかれるように
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